二十一世紀はアジアを中心とした大観光時代
中国を代表とするアジア諸国の所得が上がってくると、何億人もの人たちが世界中に旅行する大移動の時代がやってくる。その時、日本は最大の観光 地になるのかというと疑わしい面もある。現在、日本から外国へ行く海外旅行者は一、七〇〇万人で、日本国内へ来る旅行者は僅か四〇〇万人といわれている。 格差がついた原因の一つは、諸外国に比べて日本の物価が高すぎるということであり、もう一つは、日本が積極的に外国人旅行者を誘致してこなかったことがあ げられる。一ドル=三六〇円の時代は、たしかに外国人旅行客が多かった。現在の日本人が物価の安い国へ旅行するように、それは国の経済状態と比例した巡り 合わせのようなものかもしれない。
外国人観光客は何を日本に求めているのか
最近、外国人旅行客を誘致する運動が始まってきているが、そのために、これからの日本が何を売り出すのかということが問われている。イギリスに 代表されるヘリテージ(遺産)ツアーや、自然環境などもあるが、果たして観光客は何を日本に求めているのか?近代的なものもいいが、歴史や文化的なものも 間違いなく好まれている。日本はもう一度、土木遺産を含めて歴史文化的なものを見直し大切にしたい。最近聞いた言葉に「過去帰り」というのがある。我々は 自分自身がどこから来たのか知らないと、行き先が見えてこないため、過去と共生し歴史から学び取ることが重要だということらしい。マイカーも新幹線もコン ピュータもなかった過去は、その分だけ今日よりも豊かな知恵と勇気があった。そういった歴史や文化を掘り起こし、今に活かすべきときが到来しているよう だ。それは、自らの歴史文化を知ることにより、地域と出会い、地域を知り、他者に分かりやすく伝えることにほかならない。
まちづくりは「物語づくり」から
まちの歴史文化を物語化し、口コミで伝える都市は魅力的で、観光にもつながっている。そういう意味では、土木や建築などの構造物もその物語を構 成する一部と言える。新潟市で言えば、このまちは、元々港まちであり、訪れる人を大切にしてきた。これなども、江戸時代の長岡藩奉行が「来た人を大切にし ろ」と言ったことが周知徹底された結果、その気風が今につながっていると言える。いづれにしても、私たちがどこから来たのか知ることが大切だ。新潟市内に も物語になるものが沢山あるはずだ。異人池のカトリック教会、旧県会議事堂、オギノ式の荻野先生、イタリア軒の創始者ミオラ、旧税関、万代橋の杭(万代地 下歩道建設の折に発掘されたエピソード)など枚挙にいとまがない。都市間の交流でも、物語を紹介できる、紹介しあえる交流をしたい。金沢のレベルが高いの は市民の通訳ボランティア制度とか、外国人観光客の受け入れを一生懸命してきた結果である。フードピアなどは先覚的な例だ。地域の歴史文化の「語り部」を 育てつつ、観光地として市民と一体になり、戦略的に行っているようだ。長浜の例で言えば、まちづくりを始めたのはこの二〜三年で、昔の街道を活かした黒塀 のまちにした。観光客は今や当初の十倍を越える。地域の人たちが潰そうかどうか悩んでいたが、いいだしっぺがほんの僅かな距離を整備したのが始まりであ る。結局、古いようで新しいものができた。掘り起こせばそのようなものは幾らでもあるのではないか。まちの物語がなければ、新しくつくればいい。その際、 古いものと新しいものを巧みにミックスさせていくことが重要だ。